巨大な提灯や紙で作られた美しい装飾「しれとこ斜里ねぷた」
お祭り概要
「ねぷた」の故郷である弘前市と北海道斜里町は、昭和58年に友好都市として盟約を結びました。これを契機に、弘前市の「ねぷた」の技術が斜里町に伝えられ、「しれとこ斜里ねぷた」という祭りが毎年7月下旬の週末に開催されるようになりました。
友好都市となった背景
約200年前の悲しい出来事が関わっています。江戸時代後期の1807年、津軽藩は蝦夷地(現在の北海道)の北方警備を命じられました。蝦夷地はアイヌ民族と和人(日本本土からの移住者)が暮らしていましたが、この地域にはロシアの脅威が迫っていました。ロシア艦船の活動が活発化し、襲撃や略奪が横行していたため、江戸幕府は諸藩に北方警備を命じました。
津軽藩もこれに応じ、100人の藩士を斜里に派遣しました。しかし、北海道の厳しい寒さや食糧不足などの過酷な状況の中で、藩士たちは命を落とすこととなりました。寒さに耐えられず、飢えと壊血病が広がり、多くの藩士が死亡しました。彼らは助けを待ちながらも孤立し、最終的に72名の藩士が命を絶ったとされています。
この悲劇は津軽藩によって隠蔽され、長い間知られることはありませんでした。しかし、昭和29年に北海道大学の歴史学教授が古文書を発見し、その中での出来事が明らかになりました。この事実が明るみに出ることで、斜里町と弘前市の絆が深まり、「しれとこ斜里ねぷた」祭りが始まる契機となりました。この祭りは、津軽藩士の霊を慰めるための祭りであり、現在では夏の風物詩として親しまれています。
しれとこ斜里ねぷた開催日程
【開催日程】例年7月下旬
【会場】北海道斜里郡斜里町本町12番地 斜里町役場~町内目抜き通り
【料金】入場無料
【駐車場】運行当日に限り、臨時駐車場あり
【問い合わせ(TEL)】0152-23-3131/友好都市弘前ねぷた斜里保存会事務局(斜里町役場総務部企画総務課総務係内)
知床ねぷたの見どころ
「しれとこ斜里ねぷた」では、大小約12基の「扇ねぷた」と呼ばれる提灯が、斜里町の主要な通りを約2.5キロメートルにわたって練り歩きます。
この提灯には美しいねぷた絵が描かれており、その色鮮やかな装飾が見どころの一つとなっています。特に、提灯の運行と同時に演奏される迫力あるお囃子の大合奏も祭りの魅力の一つです。
「しれとこ斜里ねぷた」の最終日には、「ねぷたフェスティバル」というイベントが開催されます。この日には、ねぷた囃子方(お囃子の演奏者たち)が一堂に集まり、熱狂的な演奏が行われます。このフェスティバルも祭りのハイライトの一つとされています。
また、祭りの会場である「道の駅しゃり」では、友好都市である弘前市の物産展が行われます。さらに、商店街を中心に「しれとこ夏まつり」という様々な行事も同時に開催され、知床地域全体が賑わいを見せます。
最後に
「しれとこ斜里ねぷた」祭りは、その迫力ある提灯運行とお囃子の演奏、美しいねぷた絵などが魅力であり、知床地域の夏の風物詩として多くの人々に楽しみと感動を提供している重要なイベントです。
機会があれば是非一度訪れてみてください。